今思えば

20歳ってすごくお子ちゃまだったなぁ。大人になった気がして、今思えばそんなんでもないっていう。学生だったしね。

 

お客さんからズバッと言われるのはしょうがないことで、裏で号泣したときもあったけど、タメになることもたくさんある。ズバッと言われることはほとんど見た目のことなんだけどね(笑)自分の怠惰がこうなってるわけだから。

で、そのタメになるというかたまに思い出すことが、大人になろうとして諦めのいい人にならないように、って言葉なんだけど。

若い女の子がよく見てる掲示板で、彼氏が自分の誕生日に予定入れてた、これ怒っていい?っていうスレが立ったんだけど、その彼氏が例えば社会人だったら会社の付き合い、取引相手とのプライベートでの付き合い、仕事の準備とかあるって考えられるし、学生ならサークルの怖い先輩に飲み会誘われたとか、学生でも人間関係って大切なことだから、彼女のことを一番に考えるって難しいことじゃない?それは彼の時間を優先させてあげたらいいのに、って思った。

で、それを思ったと同時に普通だったらここで、なんで?今日誕生日でご飯行くって約束してたじゃんって怒るのかな?って。

これを諦めのいいというか理解があると振りをしてる気がして。

それをわがままというのか理解がない女というか、自己中なのか。

そういうこと、素直に言える人ってかわいいなって思う。

考えすぎなんだな、たぶん。

 誕生日っていう、日をどう捉えてるかの違いかもしれないなぁ。

素敵なことをしてくれる!っていう期待と自意識過剰ってことかな。

自意識過剰って自分を好きだからそうなるのかな。

自分の存在価値をきちんとわかってるからかな。

でも黙るってただ都合いいだけだよね。そうやって浮気されていくんだろうな。

いい人になろうっていう願望が強すぎた結果かもしれない。

 

我が強いからどうしても、わたしが。わたしはね。わたしも。って言いがちだから、ここ数年の目標は人に優しく、でしゃばらない(笑)

 

大人ってどういうのが大人?って人に優しくなれることかなって思う。人に優しくっていうのも、おごってあげる、譲ってあげる、そういう見返りをすこしでも求めるようなことじゃなくて、相手の立場に立って物事を考えられることと、理解しようと譲歩すること、悲しければ悲しい、辛いなら辛い、嬉しいなら嬉しいって気持ちを共有できることかなって思う。完璧には理解できないだろうけど、心の底から相手に何かあったら心配することができてから大人かなって思った。

自分はまだまだ優しい人間じゃないなって思う。精進します。

 

誰かが死んだり、生まれたり、そういうときに身振り構わず心配してくれる人と関係続けた方がいいよ、と経験者のわたしはみなさまにお伝えしたい(笑)出産してねーけど(笑)彼氏もいねーけど(笑)予定もねーけど……

 

誰かが死ぬ時って実際その立場にならないとわからない気持ちって確かにあるんだよね、何もわからないくせに!って何度か思ったこともあったけど、何もわからないから何も言わないであげるってそれも一種の 優しさ なのかもしれないけど、多分それって優しさを言い訳にしてめんどくさいことから逃げてるだけだと思う。

誰かの親が病気になりました。って言われたら言葉も選ぶし、でも気持ちはわからないし、どうしようって思うよね。そっとしてあげることが 優しさ なんてそんなのいらないんだよ。

 

どこかで一度見かけたことのある言葉だったけど、誰かの死に直面した時、支えてくれる友人達を一生大切にしろ、っていう。今回で痛いほどわかった。

 

楽しい時、嬉しい時、ここにあの人がいてくれたらなぁって友人関係も素敵だけど、辛い時悲しい時にあの人に話したい、そばにいてほしい、っていうひとになれたらいいよね。

 

プラスの感情を共有することは誰にだってできるけど、辛く冷たく苦しい感情を共有するのって難しいんだ。

どんな言葉でもいいから行動して伝えることが大切だなぁって実感した。

 

でもやっぱりプラスの感情より人の死ってそうそう経験できるものじゃないから、最初からわたしが言うようなことできるわけがないんだけどね。

 

誰かの大切な人が亡くなったら、周りの心のケアをきちんとできるひとにわたしも、みんなもなれたらいいな!って。

こういうことできる人って素敵だな、って思うよ。がんばろーじぶんー(笑)

 

 

今日から仕事始めだ〜喋れる自信ない。

体力もないよ〜心機一転、心入れ替えます………

 

 

 

 

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